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2019年6月30日 (日)

今年もお施餓鬼

今日は毎年のお施餓鬼の法要。

朝一で美容院に行った後、お寺に向かう。

おときは毎年お約束のお弁当。ここのお弁当好きなんですが。
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毎年入っていたヤマモモの甘煮が今年は入っていなくちょっと残念。お弁当のメインでもなく、ひっそりと添えられていたそんなものを、毎年楽しみにしていた人がいるなんて、仕出し屋さんも知るまいなあ。

餓鬼道に落ちた者たちを供養すること、南無阿弥陀仏と祈ることは、亡くなった父母や祖父母、親族の供養のためと思っていたけれど。

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最初の法話でそうではないのだという説明を受けた。

祈ることは神様と先立った人達とともに、この世でより良く生きるため という話を聞き。

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今生がいかに辛くても南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けると説いた時代との違いを感じるわたしである。

にしても、先日式子内親王の本を読んでいたから、法然上人の話になると「おおおっ!」と身を乗り出して聞いていた。ミーハーである。


法要終わって墓参り。今月は母の好きだったピンクにした。

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帰宅して般若湯でおやつ。

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般若湯の中身は茜霧島。甘いものつまみで飲むのが好きという、まこと外道にして痩せる間のない飲み方。

そのまま晩めしに突入。

鮭の切り身を塩焼きに。塩鮭とはまた違う味わいだ。

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それにしても我ら世代は、飢えを知らぬ。母の世代まではたしかにそれがあったのだ。

このまま我々は、飢えを知らぬまま人生逃げ切れるのだろうか。それができる方法がわかるなら、努力は厭わないのだがなあ。

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コメント

仏花も華やかでお母さまも喜ばれることでしょうね。素敵です。

今の世代で食に対する「飢え」は無くともそれ以外で飢餓感を覚える人々は増えてるような気がします。

わたしもその一人。
りきまるさんみたいに自分磨きに励まないとダメ人間のままだわ。
頑張ります!!

投稿: 由紀子 | 2019年7月15日 (月) 00時02分

由紀子さん、たしかに。豊かなのに満たされていないとか、喪失感を抱えていたりってありますよね。
何年か前のお施餓鬼の案内にあった法話で、『食べても食べても満腹になれないのが餓鬼道ですが、いくら買っても満たされない現代の人間もまた、餓鬼道と言えるのではないか』とかかれていました。
私は自分磨きってより、いくら何をしても満たされず、次々せわしないのもまた、生きながらにして餓鬼道にいるのかもですよ。。。(苦笑)

投稿: りきまる | 2019年7月15日 (月) 21時39分

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