« | トップページ | 己の美しさに気づかぬ美人 »

2015年12月 6日 (日)


始まりは到着したあとにブロッコリーにつけた塩。
まろやかで美味しい『百姓の塩』を作られている現場を、朝一番で見学をさせていただいた。
右上 海水はまさに目の前の海からとる。透明度の高い海水でも沖合いの海水でもなく。川が流れ込み山のミネラルを運ぶ入り江の海藻が生えている場所、そんな所の海水を使うのが一番美味しい塩ができるのだそうだ。

左中 汲み上げた海水を上から枝に沿って下に落とす。これで少し蒸散し濃い海水になる。

右中 その海水を桶にいれて温室のなかで気長に水分を蒸発させると、粒の大きな塩ができる。

左下 塩水を再度煮詰めたあと 
下中 樽にいれてにがりを分離させる。
右下 更に水分が抜けると、細やかでまろやかな塩の完成。ゲランドの塩を愛用しているのだけれど、それに近い製法というか、できた塩はできた場所によってカルシウムとかミネラルの含有率が変わる
ここではそれらを混ぜることで、元の海水と近い状態にする。海水は私たちの体液の塩分量と近いそうで、つまりこれは母なる海そのもの。

百姓の塩を作られているご主人は、まさしく百姓、百の姓(かばね)。農業もやればこの建屋もお手製である。

高度に分業化された現代社会では、私たちはまるで塩が水に溶けるように、本来の持つ力を次々と失って行っている。料理を作ること、食べるものを育てること、最近では地図を見る力なんかもそうかもね。

彼の生き方とこの土地の魅力に惹かれ、この地に若い人の移住が増えているのだと聞いた。

亡くなった母は私に様々な家事を仕込みながら、「たとえ使用人を沢山雇っているお屋敷にお嫁にいく人も、ちゃんと家事を自分で出来なくては使用人は使えないのよ。」とよく言っていた。昭和以前のお金持ちの話である。
昔の主婦は洋服もよく作ったから、母は買ってきた服の材質や仕立てに厳しかった。作るから悪いものはすぐわかるのであろう。

私よりはるかに若い人々が、昔に回帰したような生き方を志向している姿を見ると、何やらほっとしたりするのでした。

|

« | トップページ | 己の美しさに気づかぬ美人 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« | トップページ | 己の美しさに気づかぬ美人 »